tag:blogger.com,1999:blog-1557470651658501992024-03-14T15:39:43.710+09:00blog:中年夫婦の35日間オーストラリア旅行記2000年5月30日から35日間、私たち59歳と52歳の中年夫婦はオーストラリアを旅した。
オーストラリアに行くなら、最低でも、グレート・バリア・リーフとコアラと、そしてピナクルズとインド洋に沈む夕陽は絶対に見たい。
さらに、エアーズ・ロックを見て、登って……、と考えているうちに、1万キロを超える長距離バス移動となり、お金をケチって安宿での滞在となった。
日本の22倍もの面積を有する、あの広大な『島大陸』を、バック・パックを背負っての旅。
過去に我々が経験した数少ない既製品ツアーでは考えられない、すべてが初めての体験であり、ある意味では一番贅沢な旅となった。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.comBlogger56125tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-57449669716588612372000-08-10T15:15:00.001+09:002008-11-19T15:24:28.524+09:00アンザック・ビスケット ANZAC Biscuitオーストラリアには、アンザック・ビスケット "ANZAC Biscuit" というクッキーがあり、ベジマイト Vegemite やあの巨大なオージー・バーベキューと同様に、オーストラリアを代表する食べ物となっている。アンザック・デーにはそれそれの家庭のレシピで焼かれて家族やパーティーで楽しまれ、また、在郷軍人組織の資金集めの手段としてバザーなどで売られる。最近ではスーパーや菓子店などでも1年中売られていて、我々旅人も目にし口にすることができる。小生、クッキーを焼けるわけではない(焼いたこともない)が、現在最も一般的なレシピと作り方を紹介しておこう。材料(30個分)小麦粉、砂糖、押しからす麦、ココナッツ 各1カップバター 4オンス糖蜜またはゴールデンシロップ 1テーブルスプーン熱湯 2テーブルスプーン炭酸ソーダ 1テーブルスプーン塩 1摘み 作り方あらかじめオーブンを175度に熱し、mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-80346280950452661422000-08-10T01:26:00.000+09:002008-11-19T14:31:15.756+09:00アンザック ANZACオーストラリアを歩いていると、あちこちで「アンザック」 "ANZAC" という言葉に出会う。Anzac Memorial、Anzac Park、Anzac Hill、そして Anzac Day などなど。ANZAC (Australia and New Zealand Army Corps) 。それは第一次世界大戦時に結成されたオーストラリア・ニュージーランド連合軍のことを指す。アンザック軍団は大英帝国軍の一員としてヨーロッパの戦いに参加し、ある時は多大な犠牲を払い、ある時は勇敢な戦いで見事な戦果をあげた。この参戦は、独立間もないオーストラリア連邦が初めて国際社会に登場するきっかけとなり、戦後オーストラリアは国際連盟への加盟を果たすこととなった。◇第一次世界大戦の勃発とオーストラリアの参戦1914年、ヨーロッパでは、ますます強さを増したドイツ帝国と英・仏・露同盟間の対立は一触即発の状況にmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-53105771939668921592000-07-30T23:46:00.000+09:002008-11-19T14:13:19.593+09:00もう一つの鉄道(サトウキビ鉄道)ケアンズからバスでブリスベンに向かう途中、ハイウェイに並行して走る線路を見た。最初は普通の鉄道の線路だろうと思っていたが、どう見ても線路の幅が狭く感じる。1メートルもない感じなのである。その線路が道路を斜めに横切っている踏み切りもあったが、やはりその線路の幅員は数10センチしかない。いわゆるトロッコの線路なのである。何時間か走ったところで、その線路を籠のような貨車の長い列がディーゼル機関車に引かれて行くのを見ることができた。貨車に積まれているのはサトウキビ。確かに、この沿線にはサトウキビ畑が延々と続く。なるほどこの列車は、サトウキビ畑から製糖工場へキビを運ぶ鉄道だったのだ。それにしてもこの鉄道の延長は長い。朝ケアンズを出てから暗くなるまで、ハイウェイの右に左にと延々と見えていた。子供の頃、サトウキビは大分の田舎でも植えていたので、よくかじったことがある。沖縄でかなり大きなサトウキビ畑を見mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-51417005655155333342000-07-26T13:46:00.000+09:002008-11-19T13:58:42.587+09:00もう一つの音(歩行者用音響信号)オーストラリアを歩いて、未だに耳に残っているもう一つの音がある。といっても、音楽でも小鳥のさえずりでもない。それは、どこの街でも聞いた横断歩道の音響信号の音なのである。ケアンズの宿に着いて小休止の後オーストラリアでの第一歩を踏み出したとき、初めて歩行者用の信号に出くわした。車は左側通行で日本と同じだから、まったく違和感はないのだが、車用の信号が青に変わっても歩行者用の信号は赤のまま。「ピッ…ピッ…ピッ…」という変な断続音が鳴っている。さて、いつになったら渡れるのだろうと考えていると、横断歩道の手前に左の写真のようなはでっかい押しボタンがあるのに気がつく。ボタンの直径は10センチ位ありそうだ。ボタンを押してしばらくすると、突然「ギュン!!トットットットットットット・・・」というけたたましい音が鳴って歩行者用信号が青に変わった。日本の「カッコー」、「ピヨピヨ」や「とおりゃんせ」、「夕焼け小mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-7019916262944009342000-07-24T11:57:00.000+09:002008-11-19T12:45:32.600+09:00オーストラリアのお金(2)◆紙幣? polymer notesオーストラリアのお札は、紙ではなくてポリマーという柔らかいプラスチックで作られている。あえて言うなら、「ポリ幣」か「プラ幣」ということになる。1988年、世界で初めてのポリマー紙幣が記念紙幣として発行され、その後5ドル札から徐々に一般紙幣にも導入されて、92年から96年にかけて、流通している全ての札がポリマー製に置きかえられた。手触りは思ったより柔らかく、その上丈夫だ。当然水にも強い。下の写真のように、赤、青、黄色などとてもカラフル。しかも透明な部分まであって向こう側が透けて見える。ポリマー化した理由は、清潔さ、耐久性、偽造防止などが挙げられるが、木の伐採をによる森林破壊を防止するという環境保全の姿勢もうかがうことができる。10ドル札の場合、紙製なら数ヶ月の寿命であるのに対し、ポリマー製のものは少なくとも30ヶ月はもつという。寿命を終えたものは、他のmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-70782986585969609962000-07-22T11:00:00.001+09:002008-11-19T11:47:38.544+09:00オーストラリアのお金(1)「お金の話」といっても、物価や貨幣価値,為替レートの話ではない。お札やコインといった、お金そのものの話である。オーストラリアには、世界初といわれるプラスチック製の「紙幣?」があり、またコインのデザインも大変ユニーク。そんなわけで、これからオーストラリアを訪れる方の予備知識にもなればと思い、オーストラリアのお金について述べてみることにした。オーストラリアでは、1788年の植民地宣言以来、イギリスと同様にポンド・シリングを通貨単位として使っていたが、1966年2月14日の連邦法改正により十進法通貨単位ドル・セントを採用した。現在オーストラリアで流通している通貨は、5、10、20、50、100ドルの5種類の紙幣と、5、10、20、50セントそれに1ドル、2ドルの6種類のコインである。以前流通していた1セントと2セントのコインは現在は使われなくなったため、5セント単位で切り上げまたは切り捨てされmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-59599706076764007892000-07-20T11:00:00.000+09:002008-11-19T11:19:56.548+09:00映画:渚にて ON THE BEACHこの映画は、1959年に配給されたスタンリー・クレイマー監督 Stanley Kramer の社会派SF。ネヴィル・シュート Nevil Shute の同名の原作を映画化したものだ。グレゴリー・ペック Gregory Peck 、エヴァ・ガードナー Ava Gardner 、アンソニー・パーキンス Anthony Perkins 、それにフレッド・アステア Fred Astaire という、かなりのオール・スター・キャスト。私がこの映画をはじめて見たのは、大学2年のことだったと思う。こぼれ話5でも書いたが、ほぼ全編に流れるウォルシング・マチルダの曲が印象的だった。時はまだ冷戦時代の真っ只中にあり、核戦争の恐怖も身近に感じられた頃の作品。身の引き締まる思いで鑑賞したのを覚えている。この作品を撮ったスタンリー・クレイマーが先年亡くなった。数々の名作を提供してくれた巨匠に心からの感謝をささげ、mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-52036593198427581122000-07-17T22:00:00.000+09:002008-11-18T22:45:31.757+09:00«Can you speak English?»■覚えるより先に忘れていく'99年4月末からECCに通った。フリー・タイム・レッスンで初心者に毛の生えたレベル4bから始め、約1年経ってやっと3aまで上がった。60近くなって始めた英会話だから、上達を妨げる最大の要因は減退する記憶力である。過去に覚えていたことも忘れつつあるのに、新しく英単語を覚えるほどの容量を持った記憶素子を、我が脳は持ち合わせていないようだ。単語などは、覚えるより忘れていくスピードの方が速い。ECCのテキストには、旅のいろいろな場面で利用できる会話も用意されていたから、それを全部覚えていれば相当のところまで通用するはずだったのだが……しかし、しかしである……■英語なしで過ごせる一日1日中夫婦で歩いていると、当然日本語だけを喋っている。地図を持っていれば道を尋ねる必要もない。フード・コートなどで食事を注文するときは、指さして "This one, this one mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-89347642106815279802000-07-16T18:28:00.004+09:002008-11-18T20:56:01.118+09:00聞きたかった音(声)オーストラリアに来たら是非聞きたいと思っていた音(声)が3つあった。第1はディジュリドゥーの音、第2がウォルシング・マチルダの曲、そして3番目がワライカワセミの声だった。ディジュリドゥーについては別項で詳しく紹介するつもりなので、ここではウォルシング・マチルダとワライカワセミについて触れてみたい。■ウォルシング・マチルダ Waltzing Matilda私がこの曲の全部を最初に聞いたのは、第3次世界大戦でほとんどの国が滅亡しオーストラリアだけが残ったという設定のSF映画『渚にて』の中だった。テーマ曲としてほとんど全編に流れていたため、今でもメロディーをはっきり覚えている。オーストラリアでは、オージーの反骨精神を歌い上げた歌として、もともと第2の国歌とも言われるほど人気がある曲だが、この映画によってオーストラリアを代表する曲として世界中にも知られるようになったものだ。今度の旅でこの曲を耳にmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-52216321454909080222000-07-15T22:15:00.001+09:002008-11-18T22:46:09.408+09:00«何飲む? ビール、ウィスキー?»元来酒好きの我々夫婦。たくさん飲んで帰って、薀蓄(うんちく)を傾けたい、と思っていたのだが、意外なことにビール以外の酒はそれほど飲んでいない。(スコッチの水割りは結構飲んだが……)酒のページを作ってしまったので、ほんのちょっぴりオーストラリアのビールについて触れておこう。オーストラリア人はビールが大好きなようだ。ほとんどお茶やコーヒーを飲むような感覚で、昼のまだ日の高いうちからやっている。我々もそれに習って、道端のカフェ・テラスでよくビールを飲んだ。ボトル・ショップで買って帰ってホテルの部屋でもよく飲んだ。一番よく飲んだのは、フォーエックスゴールド XXXX Gold かな?ちょっと甘め。お気に入りは、フォスターズ Foster's Super Bitter 。Foster は、F1のスポンサーにもなっているからご存知の人も多いはず。なんとなくいい香りのビールだ。万人向きでどこにでもあるmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-42170017480101803012000-07-14T10:20:00.000+09:002008-11-18T18:25:54.128+09:00Down Underオーストラリアの隠れた人気土産物のひとつに、南北が逆になった(当然東西も)世界地図があるのをご存知の方も多いと思う。私も、シドニーのロックスの土産物屋で見つけて買った。$8.95だった。右の写真がそれだが、横90cm×縦60cmほどの大きな地図をデジカメで撮影して縮小したので、皺だらけだしちょっと見づらくなってしまった。ご覧のように、オーストラリアとニュージーランドが真ん中上部に描かれ、日本や中国・ロシアはずっと下の方にある。英語で "down under" とは、オーストラリアとニュージーランドのことをいい、辞書にもちゃんと出ている。(北半球の人間が使う)普通の地図の「下の方」にあるから、そう呼ばれるようになったのである。しかし、南半球に移り住み「国家」としての体裁が整ってくるにつれて、これでは面白くないと考える人が出てきた。そこで生まれたのが、オーストラリアとニュージーランドを上mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-6857767987880481332000-07-12T21:10:00.001+09:002008-11-18T18:18:11.258+09:00世界一の一枚岩?以前、エアーズ・ロックについてのガイドブックなどでは、これが『世界一の一枚岩』であるとの表現がされていたことがあった。今では、こうした表現はあまり見かけなくなったが、エアーズ・ロックが世界一であるという誤解は、未だにここを訪れる観光客の多くに残っており、確かに何もないだだっ広い大平原の中に忽然と現れるその姿を見たとき、『世界一の一枚岩』を見たかのような感動にとらわれるのも事実である。しかし最近では、『世界一の一枚岩』は、同じオーストラリアにあるマウント・オーガスタスだと言われている。今回の我々の旅では訪れることはなかったが、この『一枚岩』についてもちょっと紹介しておきたい。マウント・オーガスタス Mount Augustus。アボリジニのワジャリ Wadjari 族の人々にバリングラ Burringurrah として知られている山は、(西オーストラリア州)パースから850km、the mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-18410434912190070482000-07-11T22:00:00.000+09:002008-11-18T22:46:41.901+09:00«安宿のすすめ»海外旅行の宿泊はホテル、と決めてかかっていたら、今回の旅は実現していなかっただろう。「食事」の項でも書いたが、宿泊費は旅行費用の最大の支出項目。ABC分析で検討すれば、真っ先に削減の対象となる部分である。トータル・コストを固定し、旅行の期間を最大に長期に持っていこうとすれば、食費と宿泊費を切り詰めるしかない。しかし、この項目は、『女性』である家内にすれば、旅行に期待するかなり大きな要素になるはずだ。こうして、小生のオーストラリア宿泊事情の情報収集活動が始まった。(ちょっと、大袈裟???)通っていたECCのレッスンの中で、Backpackers Hostel や B&B という言葉は聞いたことがあったが、恥ずかしながらそれが実際にどんなものか分からない。Youth Hostel は、40年近く前学生時代に国内で体験したことはあったが……。安宿の種類は? 価格は? 泊まり心地は? mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-56181561658216314542000-07-11T18:10:00.000+09:002008-11-18T18:21:07.654+09:00タバコは有害です喫煙環境の厳しいオーストラリアでも、毎日欠かさずにタバコを吸った。銘柄は、フィリップ・モリスのピーター・ジャクソン Peter Jackson。そこで毎回お目にかかったのが、タバコのパッケージにしつこいほどに書かれているウォーニング・メッセージ Government Warning Message である。オーストラリア国内で販売するタバコには、次の6種類のいずれかのメッセージの表示が義務付けられていて、その表示スペースについても、パッケージ全体の面積に対する割合などが細かく規定されている。興味のある方は、ご自分で訳してみていただきたい。日本のあなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう喫煙マナーをまもりましょうに比べて、格段に厳しい警告メッセージがびっしりと書かれているのである。この警告によってどの程度喫煙が抑制されているかは、定かではないのだが……1. mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-36783417283680545302000-07-10T17:51:00.000+09:002008-11-18T18:03:25.029+09:00南十字星 Southern Crossオーストラリアは空気が澄んでいるせいか、星空が素晴らしくきれい。「降るように」という表現がまさにぴったりの星の数だ。特に夜行バスで走っていると、バスの窓からでも肉眼で天の川 Milky Way がはっきり見える。本当に白く光っている。子供の頃に田舎で見て以来、最近は日本ではこんなきれいな星空は見る機会がなくなった。星座には詳しくないが、北の空にはオリオン座が見つかる。南じゃなくて北なのですぞ。何しろここは南半球なのだから。但し、日本で見るのとは向きが逆さま。日本の南の空に見えている星座は、すべて北の空に逆立ちして見えるのだ。ところが、南半球に来て誰もが見たいと願う「南十字星 Southern Cross 」がなかなか見つからない。ガイド・ブックには、必ず「ニセ十字に注意」と書いてある。一応十字型に並んだ4つの星は見つかった。しかし、それがニセモノなのか本物なのかが分からない。レスト・mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-62449734616888276452000-07-05T17:00:00.000+09:002008-11-18T17:20:31.188+09:00Cairns_67月3日(月)10時にチェック・アウトを済ませ、ちょっと早いがタクシーを呼んでもらって空港へ。昨日市内の免税店で買った品物を免税品カウンターで受け取る。7月からこの方式に変わったらしい。品物には厳重に封がしてあり、出国手続きが終わるまで絶対に開けてはいけないそうだ。普通の店で買った品物にかかるGST(消費税)の旅行者への払い戻しについて質問すると、払い戻しは300ドル以上の買い物をした場合にしか適用されないという。100ドルも使っていない我々には、無縁の話だった。出国手続きを済ませ、免税店で残ったキャッシュを消化する。コーヒーを飲んだり、雑誌を買ったりして、手元に残ったのは数枚のコインだけ。トラベラーズ・チェックの方は、今度来るときのために残しておこう。12時45分、JL768便離陸。長かったオーストラリアの旅も終わった。 mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-30171904970030393842000-07-02T23:00:00.000+09:002008-11-18T17:18:34.663+09:00Cairns_57月2日(日)朝から、買い残した土産物を買うため街へ出る。今日は地図なしで歩ける。「岡田屋」に寄ると、ここでも店長が「お帰りなさい!」。お奨めのビーフ・ジャーキーをたくさん買い込んだ。今日がオーストラリア最後の日。のんびりと散歩を楽しむ。日本語の使えるインターネット・カフェに寄ってみたが、相変わらずの満員。あと一日だからいいか、とあっさり諦める。南の方が寒くなってきて、暖かいケアンズはますます日本人で混んできたようだ。宿に戻ってゆっくりし、夕飯を食べようと外に出ると、今日は日曜日で近くのレストランはほとんど休み。仕方なく、隣りのモーテルのバーに入って、これまた最後のウィスキーを何杯か飲む。ガソリン・スタンドのコンビニで買った食材でどうにか夕食を済ませた。 mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-57541102578588634792000-07-01T23:00:00.000+09:002008-11-18T17:15:05.646+09:00Cairns_47月1日(土)1ヶ月前、初めてのオーストラリアの旅で南へ向かった国道1号線を、今度は北上する。沿線には、見覚えのある風景が流れていく。午後4時半頃、ケアンズに戻ってきた。今日の距離404キロ、所要時間僅か6時間弱。この旅の中で一番短い最後のバス移動だった。タクシーで宿に入る。以前泊まった Inn The Tropics 。「お帰りなさい」と言われ、なんとも懐かしい感じ。但し、今日からGSTが適用されて、前より10%高くなっている。今度の部屋は2階で、明るくて快適だ。夕食を食べようと外に出て、近くのステーキ・ハウスのメニューを覗いていると、おじさんに呼び込まれた。「おいしいか」と聞くと、「保証する」という。入り口のドアには、日本語で「ようこそ」と書いてある。お奨めの350グラム、20ドルのヒレ・ステーキをオーダー。それにパンとポテトと赤ワインを一本。Excellent! すごく柔らかくてmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-82236541887966690952000-07-01T13:00:00.000+09:002008-11-18T17:11:16.843+09:00Townsville->Cairns7月1日(土)10時45分、バスに乗車。とうとう最後のバス旅となった。ケアンズまではわずか400キロ、5時間半しかかからない。1ヶ月前、ケアンズからブリスベンまで、初めて走ったハイウェイを、今度は北へ向かって走る。あと少しだ。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-37313687400316165932000-06-30T23:59:00.000+09:002008-11-18T17:08:21.098+09:00Townsville26月30日(金)タウンズビル Townsville は、ケアンズの南約350kmに位置する人口13万人の美しい街。'dry tropic' と呼ばれるノース・クイーンズ・ランドにあって、晴天日数は年間320日にのぼるという。1864年に開設され、後にシドニーのビジネスマン Robert Towns にちなんで名づけられた。タウンズビルには、1896年(明治29年)初めて日本の領事館が開かれた。当時、クイーンズランド州の沿岸地帯に広がるサトウキビ畑で働く日本からの出稼ぎ労働者が多く、この街には900人もの日本人が住んでいた。1908年領事館はシドニーに移ったが、その後も代々名誉総領事をつとめたグリーン家が、今では史跡記念物になっている。クイーンズランドのサトウキビについては、こぼれ話シリーズ第9話「サトウキビ鉄道」を参照されたい。久し振りにクイーンズ・ランドに戻ると、太陽の光がまぶしい。朝mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-56366241467810030532000-06-29T23:59:00.000+09:002008-11-18T17:01:30.586+09:00Townsville16月29日(木)バスは、20時30分、約1時間遅れでタウンズビルのバス・ターミナルに到着。ホテルに、バスが遅れてこれから向かう旨を連絡すると、レセプションは8時半まで、すぐ来いという。重い荷物を背負って走るようにして駆け込む。どうにか間に合った。毛布2枚を借りて部屋に上がったら、ベッド・シーツが1つ分しかセットされていない。慌ててレセプションに駆け下りると、既に閉まっている。中身がこぼれそうなぼろぼろのマットレスの上で1晩寝る羽目になってしまった。名前は、アドヴェンチャー・リゾート Adventure Resort とかっこいいが、やはり値段だけのことはある(ツイン$31)。持っていたインスタントもので夕食を済ませ寝てしまった。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-34362338923534992772000-06-28T23:51:00.000+09:002008-11-18T16:57:24.332+09:00Alice Springs6月28日(水)昨夜泊まった宿は、メランカ・ロッジ・バックパッカーズ Melanka Lodge Backpackers 。ここは一泊だけなので、朝起きて夕方バスに乗るまでの、僅かな時間の滞在となる。アリス・スプリングス Alice Springs は、北のダーウィンから南のアデレードまでオーストラリアを南北に貫くスチュアート・ハイウェイの中間に位置し、周囲をマクドネル山脈 Macdonnell Ranges に囲まれている。19世紀末に誕生したフロンティア都市だ。1871年電信敷設工事の測量のためにこの地を訪れた測量技師が、当時アボリジニの間でツリアラと呼ばれていた泉を見つけ、当時の電信総監チャールズ・トッド Charles Todd の妻の名にちなみ『アリスの泉』と名付けたという。事実、レッド・センター Red Centre と呼ばれるオーストラリアの中央部を旅してここにたどり着いたmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-28117089574259119462000-06-27T23:50:00.000+09:002008-11-18T16:35:48.578+09:00Ayersrock46月27日(火)5時前、部屋のキーをレセプションの外のキー・ボックスにほおり込んで、ツアー・バスを待つ。外はまだ真っ暗である。今日は、エアーズ・ロックを発って、キングス・キャニオン Kings Canyon からアリス・スプリングス Alice Springs へ行く。旅もいよいよ終わりに近づき、あとは帰国の飛行機に遅れないように、ケアンズにたどり着くだけだ。エアーズ・ロックを出て、まだ明けやらぬラセター・ハイウェー Lasseter HWY を東に。右手にマウント・コナー Mt. Conner を見ながら、レッド・センターをただただひた走る。そういえばまだ朝飯前、と思ったところでバスが一時停車。サンドイッチとコーヒーで朝食。ハイウェーを外れ、アンガス・ダウンズ Angas Downs を経て、9時30分にキングス・キャニオン・リゾートに到着する。約300km走っている。キングス・mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-39726801429690113442000-06-26T22:49:00.000+09:002008-11-18T16:32:31.709+09:00Ayersrock36月26日(月)今日のツアーは14時半出発。午前中はのんびりと過ごす。郵便局に行って、今まであちこちで買い込んだ土産品の一部を、神戸の家内の姉に送る。2、3日後に気が付いたのだが、ここで辞書を忘れてしまった。日本出発の前に買った三省堂の「デイリコンサイス英和・和英」。送り状に宛名を書いていたカウンターに置き忘れたらしい。3000円もしたのに。もったいない。14時30分、オルガス&エアーズ・ロック・サンセット・ツアー Olgas & Ayers Rock Sunset Tour に出発。エアーズ・ロックが一つの岩なのに対し、オルガスは36個の岩の寄せ集まり。バスが近づき、道がカーブするごとに、見る角度が変わり、いろな姿を見せてくれる。【写真左】最も高い岩、マウント・オルガが、地表綿からの高さ546m(海抜1069m)。ガイドは、「オルガは頭という意味。頭がたくさんあるからオルガス。mimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-155747065165850199.post-26764606276553286452000-06-25T21:45:00.000+09:002008-11-18T16:26:36.478+09:00Ayersrock26月25日(日)早朝、サンライズ&登坂&ベース・ツアー Ayers Rock Sunrize, Climb & Base Tour に出発。出発は日の出の75分前。予約したツーは、すべて AATkings のバスが、ロッジの前まで迎えに来てくれる。ビュー・ポイントに行き、日の出を待つ。日の出の前後、時間の経過とともに微妙に色を変えていくエアーズ・ロックを見る。朝日が地平線から昇る瞬間、茶色だった岩は、赤く映える。歓声が上がる。《エアーズ・ロックはどうしてできたのか? 「ウルルとカタジュタの地質学的歴史」》……詳しいことが知りたい方は、クリックしてみてください。……次は、いよいよ登坂だ。西側に1ヶ所だけ設けられた登山口から登りはじめる。すぐに急な斜面になり、鎖が張られている。スニーカーを履き、持参したイボイボ付きの軍手を着けて、鎖につかまりながら一歩一歩登って行く。いやーっ、キツイmimahttp://www.blogger.com/profile/13541245193099558425noreply@blogger.com0