2000/07/01

Cairns_4

7月1日(土)
1ヶ月前、初めてのオーストラリアの旅で南へ向かった国道1号線を、今度は北上する。沿線には、見覚えのある風景が流れていく。
午後4時半頃、ケアンズに戻ってきた。今日の距離404キロ、所要時間僅か6時間弱。この旅の中で一番短い最後のバス移動だった。
タクシーで宿に入る。以前泊まった Inn The Tropics 。「お帰りなさい」と言われ、なんとも懐かしい感じ。但し、今日からGSTが適用されて、前より10%高くなっている。今度の部屋は2階で、明るくて快適だ。

夕食を食べようと外に出て、近くのステーキ・ハウスのメニューを覗いていると、おじさんに呼び込まれた。「おいしいか」と聞くと、「保証する」という。入り口のドアには、日本語で「ようこそ」と書いてある。
お奨めの350グラム、20ドルのヒレ・ステーキをオーダー。それにパンとポテトと赤ワインを一本。Excellent! すごく柔らかくておいしい。これで、締めて2人で$80、約5500円ちょっとだった。
久し振りにゆっくりシャワーを浴びて寝る。

Townsville->Cairns

7月1日(土)
10時45分、バスに乗車。とうとう最後のバス旅となった。ケアンズまではわずか400キロ、5時間半しかかからない。
1ヶ月前、ケアンズからブリスベンまで、初めて走ったハイウェイを、今度は北へ向かって走る。あと少しだ。

2000/06/30

Townsville2

6月30日(金)
タウンズビル Townsville は、ケアンズの南約350kmに位置する人口13万人の美しい街。'dry tropic' と呼ばれるノース・クイーンズ・ランドにあって、晴天日数は年間320日にのぼるという。1864年に開設され、後にシドニーのビジネスマン Robert Towns にちなんで名づけられた。
タウンズビルには、1896年(明治29年)初めて日本の領事館が開かれた。
当時、クイーンズランド州の沿岸地帯に広がるサトウキビ畑で働く日本からの出稼ぎ労働者が多く、この街には900人もの日本人が住んでいた。
1908年領事館はシドニーに移ったが、その後も代々名誉総領事をつとめたグリーン家が、今では史跡記念物になっている。
クイーンズランドのサトウキビについては、こぼれ話シリーズ第9話「サトウキビ鉄道」を参照されたい。

久し振りにクイーンズ・ランドに戻ると、太陽の光がまぶしい。
朝、洗濯を済ませて、トランジット・センターに寄り、ケアンズまでの最後のバスの座席を予約。残りのキロ数を確認すると、充分残っていた。

ロス・クリーク Ross Creek にかかる歩道橋 Victoria Bridge を渡って、フリンダーズ・モール Flinders Mall へ。南側の白いT&Gビルと北側の中央郵便局G.P.Oの2つの時計台を持つ建物の間、約300mがモールになっている。【写真右】G.P.Oから北東に Flinders St. East を歩くと、両側に洒落たレストランやコロニアル風のパブ、バックパッカーズなどが並んでおり、この辺までが市街地といった感じか。
ロス・クリーク沿いの道をブラブラ進むと、右側にトロピカル・クイーンズランド博物館と世界有数の巨大水槽のあるリーフ・エイチ・キューがある。時間つぶしに博物館だけのぞいてみた。

左に折れて Kings St. をほんのちょっと進み、海沿いの公園アンザック・メモリアル・パーク Anzac Memorial Park にぶつかる。【写真左】公園からクリーブランド湾に沿って続く通りが、ザ・ストランド The Strand 。ちょうど今日からスクール・ホリデーに入っていて、BBQを楽しむ家族連れや、先生に引率されて海辺で砂遊びに興じる子供たちが大勢いる。
我々も靴を脱いで砂浜を歩き、途中で買ったサンドイッチで昼食にした。

宿に帰って、廊下でタバコを吸っていると、一人旅の日本人、22歳のI君と会う。若い頃バイクでアメリカを横断したお父さんにあこがれ、今こうしてオーストラリア一周の旅に出たのだという。感じのいい、かっこいい青年だ。
宿の裏、パルマー・ストリート Palmer St. にあるバー&レストランに夕食に誘う。我々はスコッチ&ウォーター、彼はビール。
I君に話しかけてきた酔っ払いのおじさんが、いつの間にか同じテーブルに居座る。チェコからの旅行者で楽しい人だが、相当酔っていて英語がほとんど聞き取れない。
10時半を回ったところで、チェコ氏をI君にまかせ、バイク旅行の安全を祈って宿に戻った。

2000/06/29

Townsville1

6月29日(木)
バスは、20時30分、約1時間遅れでタウンズビルのバス・ターミナルに到着。ホテルに、バスが遅れてこれから向かう旨を連絡すると、レセプションは8時半まで、すぐ来いという。
重い荷物を背負って走るようにして駆け込む。どうにか間に合った。毛布2枚を借りて部屋に上がったら、ベッド・シーツが1つ分しかセットされていない。慌ててレセプションに駆け下りると、既に閉まっている。中身がこぼれそうなぼろぼろのマットレスの上で1晩寝る羽目になってしまった。名前は、アドヴェンチャー・リゾート Adventure Resort とかっこいいが、やはり値段だけのことはある(ツイン$31)。
持っていたインスタントもので夕食を済ませ寝てしまった。

2000/06/28

Alice Springs

6月28日(水)
昨夜泊まった宿は、メランカ・ロッジ・バックパッカーズ Melanka Lodge Backpackers 。ここは一泊だけなので、朝起きて夕方バスに乗るまでの、僅かな時間の滞在となる。
アリス・スプリングス Alice Springs は、北のダーウィンから南のアデレードまでオーストラリアを南北に貫くスチュアート・ハイウェイの中間に位置し、周囲をマクドネル山脈 Macdonnell Ranges に囲まれている。19世紀末に誕生したフロンティア都市だ。
1871年電信敷設工事の測量のためにこの地を訪れた測量技師が、当時アボリジニの間でツリアラと呼ばれていた泉を見つけ、当時の電信総監チャールズ・トッド Charles Todd の妻の名にちなみ『アリスの泉』と名付けたという。
事実、レッド・センター Red Centre と呼ばれるオーストラリアの中央部を旅してここにたどり着いた人にとっては、文字どおりオアシスを見つけたような気持ちになる。

宿を出て、荷物をグレイハウンドのターミナルに預け、街の中をぶらつく。街の中心部は実に小さい。およそ300m四方の中に、郵便局や銀行、商店、レストランが並んでいる。中心は、トッド・モール Todd Mall 。カフェ、レストラン、お土産屋などが並び、一日中賑わっている。モールの中ほどにある屋外ステージでは、地元高校のオーケストラの演奏会が行われていた。
また、アボリジナル・アーツや工芸品の店もたくさんあり、ユーカリの樹の皮に絵を描いたバーク・ペインティング、モダンなデザインのネッカチーフやテーブル・クロスなどが置いてある。
アボリジナル・ランド Aboriginal Land に近いこのあたりでは、街の中で見かけるアボリジニの人達も多い。しかし、一般的には定職に着いていないようで、いつもブラブラでしているか、公園や広場でたむろしている。

モールの真ん中の角にあるアリス・プラザ Alice Plaza は、アトリウムのある洒落たショッピング・センター。モールの1本西側の通り、ハートレー・ストリート Hartley St. のGPOの斜め向いには、あのウールワースが入ったイェペレニー・ショッピング・センター Yeperenye Shpping Centre がある。例によって、ここのフード・センターで早めの夕食をとる。

17時15分、アリス・スプリングスのターミナルを出発して、次の宿泊地タウンズビルに向かう。移動距離約2050km。途中、テナント・クリーク Tennant Creek で乗り換えて、所要時間は約26時間。今までで2番目の長距離移動となる。
ダーウィンに向かうワーホリの連中が何人か乗っている。エアーズ・ロックに登ってきたらしく、大感激の様子。
西の空の夕焼けがきれいだ。

2000/06/27

Ayersrock4

6月27日(火)
5時前、部屋のキーをレセプションの外のキー・ボックスにほおり込んで、ツアー・バスを待つ。外はまだ真っ暗である。
今日は、エアーズ・ロックを発って、キングス・キャニオン Kings Canyon からアリス・スプリングス Alice Springs へ行く。旅もいよいよ終わりに近づき、あとは帰国の飛行機に遅れないように、ケアンズにたどり着くだけだ。

エアーズ・ロックを出て、まだ明けやらぬラセター・ハイウェー Lasseter HWY を東に。右手にマウント・コナー Mt. Conner を見ながら、レッド・センターをただただひた走る。そういえばまだ朝飯前、と思ったところでバスが一時停車。サンドイッチとコーヒーで朝食。ハイウェーを外れ、アンガス・ダウンズ Angas Downs を経て、9時30分にキングス・キャニオン・リゾートに到着する。約300km走っている。

キングス・キャニオンはワタルカ国立公園 Wtarrka National Park の中にあって、中央オーストラリアの中で最も壮大な光景をもつと言われているところ。切り立った崖の高さは最高270m。その岩肌はクリーム色から深紫色まで、実にさまざま。
ちょっと規模は小さいかもしれないが、グランド・キャニオンのオーストラリア版といったところだ。
峡谷の崖の上に上りぐるっと一周するザ・キングス・キャニオン・ウォーク The Kings Canyon Walk (所要時間3~4時間)と、峡谷の谷を歩くザ・キングス・クリーク・ウォーク The Kings Creek Walk (同1時間)があるが、小生一昨日のエアーズ・ロック登坂に懲りて、クリークの方を選んだ。(当然、家内も一緒)
ガイドの説明を聞きながらトレイルを歩く。崖から落下したと思われる大小の石が転がり、その合間にこの地方特有の珍しい草木も生えている。
崖の上を見上げると、豆粒のように見える人たちが手を振っている。家内が、「うらやましい~っ!」。
リゾートエリアに戻り、「自前の弁当」を食べて、キャニオン・ウォーク組の帰ってくるのを待つ。我々より年配のご夫婦とお嬢さんの日本人3人組に出会った。頑張って崖の上を歩いてきたそうだ。

13時15分、エアーズ・ロックに戻る人達と別れて、バスはアリス・スプリングスへ向けて出発する。あと約320キロだ。
途中からオフ・ロードに入り、赤土のガタガタ道を驀進する。普通仕様の観光バスでオフ・ロードの道を走るなんて、いかにもオーストラリアらしい。対向車はめったに見かけない。カンガルーの死骸に鳥たちが群がっている。
緑の林が現れたと思ったら、迂回路の標識。何日か前の大雨でパルマー川 Palmar River が溢れ、道路が冠水したままらしい。バスは水溜りを避けながら、体を揺らして川を越える。しかし、久し振りに木の緑と川の水面を目にして、心が洗われるような気持ちを感じた。

100キロ以上のオフ・ロード走行を終えて、バスはようやくスチュアート・ハイウェイ Stuart HWY に入る。この道は南のアデレード方面から北のダーウィンへ、オーストラリアを南北に貫く幹線道路だ。
アリス・スプリングスまであと4、50キロという地点で、バスに急ブレーキがかかる。運転手の無線連絡を聞いていると、オイル系統の故障でオーバー・ヒート気味だと報告している。おいおい大丈夫かい?
そんなこんなで、1時間近く遅れてアリス・スプリングス到着。乗客それぞれが予約しているホテルまで送り届けてくれる。

2000/06/26

Ayersrock3

6月26日(月)
今日のツアーは14時半出発。午前中はのんびりと過ごす。
郵便局に行って、今まであちこちで買い込んだ土産品の一部を、神戸の家内の姉に送る。2、3日後に気が付いたのだが、ここで辞書を忘れてしまった。日本出発の前に買った三省堂の「デイリコンサイス英和・和英」。送り状に宛名を書いていたカウンターに置き忘れたらしい。3000円もしたのに。もったいない。

14時30分、オルガス&エアーズ・ロック・サンセット・ツアー Olgas & Ayers Rock Sunset Tour に出発。
エアーズ・ロックが一つの岩なのに対し、オルガスは36個の岩の寄せ集まり。バスが近づき、道がカーブするごとに、見る角度が変わり、いろな姿を見せてくれる。
【写真左】

最も高い岩、マウント・オルガが、地表綿からの高さ546m(海抜1069m)。ガイドは、「オルガは頭という意味。頭がたくさんあるからオルガス。」などと笑わせている。確かに、一つ一つの岩は頭に見えないこともない。オーストラリアの何かのCMでそんな絵を見たことがある。しかし、後で買ったガイド・ブックによれば、1872年、ヨーロッパ人で初めてこの岩山を発見したアーネスト・ジャイリース Arnest Giles が、当時のスペインの女王の名にちなんで、Olga と名づけたとある。ちなみにオルガスの北東部にある湖、アマデウス Amadeus は、やはりスペインの国王の名前である。

バスを降りて、オルガ渓谷 The Olga Gorge を歩く。ゴツゴツとした岩肌に挟まれた渓谷を、約1時間かけて往復する。
ウォーキング・トレイルの両側には、風化して崩れ落ちた大小の岩石がゴロゴロと転がっている。この奥が風の谷 The Valley of Wind。宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」は、ここをイメージして作られたという。
エアーズ・ロックとは、そのでき方も岩の地質学的材質もかなり違うようだ。

オルガスからエアーズ・ロック・サンセットのビュー・ポイントに向かう。
夕陽に映えるエアーズ・ロックはサンライズのそれよりも素晴らしいと、かねがね聞いていた。日が西に傾き始める頃から、徐々に岩肌が赤へ赤へと変わっていき、そして日の沈む瞬間に真っ赤に燃えるのだという。(左の写真のように。)
しかし、今日の西の空は曇天。どうも、パースの夕陽以来、サンセットには縁がなさそうだ。