2000/06/25

Ayersrock2

6月25日(日)

早朝、サンライズ&登坂&ベース・ツアー Ayers Rock Sunrize, Climb & Base Tour に出発。
出発は日の出の75分前。予約したツーは、すべて AATkings のバスが、ロッジの前まで迎えに来てくれる。
ビュー・ポイントに行き、日の出を待つ。日の出の前後、時間の経過とともに微妙に色を変えていくエアーズ・ロックを見る。
朝日が地平線から昇る瞬間、茶色だった岩は、赤く映える。歓声が上がる。

《エアーズ・ロックはどうしてできたのか? 「ウルルとカタジュタの地質学的歴史」
……詳しいことが知りたい方は、クリックしてみてください。……

次は、いよいよ登坂だ。西側に1ヶ所だけ設けられた登山口から登りはじめる。すぐに急な斜面になり、鎖が張られている。スニーカーを履き、持参したイボイボ付きの軍手を着けて、鎖につかまりながら一歩一歩登って行く。いやーっ、キツイ、キツイ。【写真右】
脚の弱った小生には最初から難関である。一緒に登っている若い人の中にも、同じようにヒーヒー言っている人がいるので、多少ホッとする。家内はどんどんと先に行く。
岩登りの必需品は、鎖をつかむ軍手と飲み水。暑い時期なら500mlくらいのペット・ボトルは絶対必要だ。
鎖が終わったところで、高さにして3分の2、道のりにしてまだ3分の1くらい。前を行く家内の姿はもう見えない。ここからが大変だった。高所恐怖症気味の小生にとっては、坂登りのきつさより、岩の馬の背のようなところが怖くて進めない。風が強く、時折り突風も吹く。しかし、ここでギブアップしたら、何を言われるか分からない。這うようにして前進する。
1時間ちょっと経ったところで、家内が下りてきた。頂上で折り返してきたのだという。ツアーでは上り下りに2時間しか取っていないので、残念だが、この辺で引き返さざるをえない。道のりにして80%か、90%か。情けない話だが、日頃、愛犬の散歩くらいしか歩かない運動不足の結果がこれである。
平気な顔をして歩いているツアーの同行者に頼み、家内と一緒に写真を撮ってもらって、下りの途についた。西方には、遥かオルガスが見える。他には何もない、まさに不毛の大地だ。

下に下りて、待っていたバスに乗る。ところが、チケットを見せて確認したつもりなのに、バスはベース・ツアーに行かずに、直接リゾートの方に戻ってしまう。こちらが聞き間違ったのか、それとも向こうが間違ったのか。そんなわけで、エアーズ・ロックの周囲を歩くベース・ツアーはあきらめた。

ビジター・センターで証明書 Ayers Rock Walkers Certificate の用紙を買い、一緒に登ったインド系の人にサインをしてもらった。

2000/06/24

Ayersrock1

6月24日(土)
朝5時半にタクシーを呼んでもらってパースの宿を出て空港に向かった。オーストラリア国内、最初で最後の飛行機の旅。
アンセット航空の British Aerospace BAe146 は、73人乗りのかわいい飛行機。エアーズ・ロックまでは2時間半のフライトである。2時間半といえば、羽田から飛べば沖縄を飛び越えてしまう距離だ。
到着直前、左の窓から赤茶けたまっ平らな大地の中にゴツゴツとした岩のかたまりが見えた。オルガスだ。思わず大きな声をあげてしまった。

11時、エアーズ・ロックの空の玄関、コネラン空港 Connellan Airport に到着。無料のエアポート・シャトル・バス Airport Shuttle Bus に乗ると、空港からエアーズ・ロック・リゾートの中を巡回して、自分の宿の前まで連れて行ってくれる。

エアーズ・ロック Ayers Rock (Uluru) は、オーストラリア大陸のほぼ真ん中にある世界最大級の一枚岩。周囲約9km、高さ348m(海抜は、867m)で、何もない平原の中にそびえる姿は、神々しさを感じさせるほどで、アボリジニの聖地となっている。その西約30kmには36個の岩からなるザ・オルガス The Olgas (Katatjuta) があって、この2つを含む地域が、ウルル・カタジュタ国立公園に指定されている。
エアーズ・ロック・リゾート Ayers Rock Resort は、エアーズ・ロック観光の拠点。5000人を収容できる宿泊施設やレストラン、ショッピング・センターなどがあり、各種のツアーがここから出ている。

我々の宿は、ツイン・ルームがある中では最低料金のスピニフェックス・ロッジ Spinifex Lodge 。それでも、我々にとっては今までの最高料金だ。それだけに、部屋にはキッチンとバルコニーが付いており、なかなかいける。トイレ、シャワーは共同。【写真右】
部屋で旅装を解き、3泊4日の作戦を練る。レストランで昼食の後、ビジター・センター Visitor Centre のツアー・デスクで、明日から3日間の AATKings のツアーを予約する。3つのツアーをばらばらに申し込んだら、それらのすべてが含まれているセット・ツアーの方がお得ですよ、と奨められた。なかなか親切。ここには、日本語の対応も可能なジャパン・デスク Japan Desk もあるのだが、たまたまスタッフが不在で、英語でのやり取りとなった。しかし、スタッフ嬢の AAT の発音が、何回聞いても 【aiaiti:】に聞こえる。これがオージー・イングリッシュなのだ。

夕方、ビールを仕入れようとしたが、近くにあるスーパーには置いていない。リゾートの中を突っ切る遊歩道を歩いて、反対側のホテルまで買出しに行く。

2000/06/23

«ピナクルズ Pinnacles のできるまで»

ナンバン国立公園の最も人気のある呼び物はピナクルズ砂漠だ。最高4mに達する何千本もの石灰岩の柱が、荒涼とした黄色い砂の風景の中に聳えている。あるものは先端がぎざぎざに尖った柱であり、またあるものは墓標に似た形をしている。ピナクルズとは一体何なのだろうか。どんな自然の作用が、これらの奇妙な目を見張るような構造物を造り上げたのだろうか。ピナクルズの石灰岩の原料は、豊富な海洋生物に溢れた昔の時代の、海の貝や甲殻類の殻である。これらの殻は石灰質を豊富に含んだ砂となり、風によって内陸に運ばれて、高い移動性の砂丘を形作った。冬の雨がこれらの砂から石灰質を浸出させ、砂丘のより下の方の層にある砂の粒を固めていった。植物が生えて砂丘は安定する。同時に、酸性を帯びた土や腐食質の層が、残された石英質の砂の上に形成されていった。この酸性土壌は(石灰質の)浸出作用を促進し、カルクリート(一般的に土壌の層の一部として形成される石灰質の固まり)の固い層が、下の方のより柔らかい石灰岩を覆う形で成長する。今日このカルクリートは、多くのピナクルの上に性質の違う笠のような形で見られ、下の柔らかい石灰岩を保護する役目を果たしている。カルクリートの層にひび割れが生じ、植物の根によってさらに広げられた。水はこのひび割れを通ってより深く浸透し、下の柔らかい石灰岩を溶かし去った。ひび割れによってできた通路は、徐々に石英質の砂によって埋められていった。この表面下の侵食は、最も弾性のある柱だけが残るまで続けられた。強い風によって覆っていた砂が吹き飛ばされ、今日我々が見ているようなピナクルズが現れたのである。

ピナクルズの形成

雨で砂から浸出した石灰質が、砂丘の下の層を柔らかい石灰岩に変えていく。

砂丘の上に生えた植物が、腐植土の酸性の層をつくり、柔らかい石灰岩の上に固い石灰岩のキャップが成長していく。

樹木の根によって、固い石灰岩の層に割れ目ができ、下の柔らかい石灰岩層の侵食はさらに続く。そうしてできた溝に石英質の砂が埋められていく。

植物が死に絶え、風が侵食された石灰岩の上を覆っていた砂を吹き飛ばし、ピナクルが現れる。

Perth4

6月23日(金)
今日は、ザ・ピナクルズ The Pinnacles に行く。パースまで来た目的の一つだ。
我々の泊まっているYHAのすぐ裏手のノースブリッジYHAの前から、7時30分に4WDトヨタのランクルで出発。運転手兼ガイドは、37歳のグレン君。日本語もほんのちょっと話せる。乗っているのは、我々2人だけだ。
車は北上してヤンチェプ国立公園 Yanchep NP にあるコアラ・パークへ向かう。乗客が2人しかいないので、あちこちで止まって詳しく説明してくれる。家内に通訳するのが大変だ。
途中、かの有名なカンガルーのロード・サインも発見。交通事故に遭ったカンガルーの死骸も見た。国立公園に入ると、林の中に野生のカンガルーがいる。エミューもいる。珍しいオーストラリア固有の植物についても説明してくれる。
コアラ・パークに着いて、身近にコアラを見る。ここは、西オーストラリアで一番のコアラの生息地だそうだ。但し、コアラの抱っこはできない。家内は、こっそり触らせてもらっていた。

コアラ・パークを出て、ブランド・ハイウェイ Brand Highway をさらに北上し、小さな漁村セバンテス Cervantes に着く。ここで昼食。入り口のBBQコーナーでは大きな肉を焼いていたが、それは我々の口には入らなかった。
セバンテスで、新たに5人乗ってくる。シンガポールからの新婚カップルがいた。
ナンバン国立公園 Nambung National Park に入り、4WDでしか入っていけないようなブッシュの生えたオフロードを走り、坂を登っていくと、突然広がる奇景。殺伐とした黄色みを帯びた砂丘の中に、無数の尖塔が林立する。ピナクルズ Pinnacles だ。「荒野の墓標」とは言いえて妙。感激して写真を撮りまくる。高さは、くるぶしくらいの小さなものから、4mを超える大きなものまでさまざま。
何故ここだけに、どうやってこんな風景が出来上がるのか。とても自然の造形とは思えない。

ピナクルズの感動覚めやらぬまま、車はさらに砂丘とブッシュ・トラックを走って南下する。インド洋が見えてきた。今度は、真っ白な砂丘。45度はあるんではないかという斜面を、フル・スピードで登ったり降りたり、坂の途中で急停車したり。車内に悲鳴と歓声が上がる。いやいや4WDは素晴らしい。若者が欲しがる気持ちが理解できた。

ランセリン Lancelin という漁村で、給油・給水の後、パースへの帰路につく。途中、インド洋に「沈みかける」夕陽を見ることができ、昨日果たせなかった願望を、ほんのちょっぴり果たす。
夕方7時頃、ノース・ブリッジ帰着。約12時間の素晴らしいツアーだった。

夜、例の場所でタバコを吸っていると、ゴルフ三昧のA氏が部屋からビールを出してきてご馳走になった。
明日は、飛行機でエアーズ・ロックへ飛ぶ。

2000/06/22

Perth3

6月22日(木)
今日はフリーマントルに行く日だが、その前に近くの西オーストラリア博物館 Western Australia Museum に寄る。
この博物館は、アボリジニ関係の展示物が豊富で、特に西オーストラリア地域の砂漠での生活を題材にした、独特のアボリジナル・アートが多い。玄関を入ったところには、25mくらいある巨大な鯨の骨がデンと置いてある。
また、検疫関係の展示コーナーがあり、何故検疫が必要なのか、州政府が如何に厳しい検疫体制をとっているかなどが、詳しく説明されている。

パース駅【写真左】から電車に乗ってフリーマントル Fremantle へ向かう。
スワン川がインド洋にそそぐ河口の街、フリーマントルに行き、その帰りにどこかのビーチで、インド洋に沈む夕陽を見る。それがパースへ来た目的の一つである。
電車は大変きれいな車両で、スピードも速い。車内に子供と学生向けの掲示がある。
"Children/Students must stand for adults or pay an adult fare."
「子供や学生は大人のために席を立ちなさい。もし座りたければ大人料金を払いなさい。」と。
学生たちは、ちゃんとこのマナーを守っているようだ。日本の高校生に見せてやりたい。
この電車には、ラッシュ時を除き自転車も持ち込める。25分でフリーマントルに到着。

フリーマントルは、1829年、キャプテン・フリーマントルの植民地宣言により始まった。活気ある港町で、修復された古い建物が立ち並ぶ、まるで映画のセットのような街だ。【写真右はフリーマントル駅】
アメリカ国籍以外で史上初のアメリカズ・カップ優勝を果たしたオーストラリアⅡ号は、フリーマントル港を母港とする船。1987年にはカップ防衛レースがフリーマントル沖のインド洋で開催された。その一大イベント開催に際し、何百万ドルもの費用を投じて、朽ちかけていた建物をを修復・復元したのだそうだ。

駅を出て、郵便局前のマーケット・ストリート Market St. を少し行くと、左手に短いモール High St. Mall があり、土産物屋やカフェが並んでいる。突き当たりが、キングス・スクエア Kings Square と呼ばれる一角。豪奢な時計台のあるタウン・ホールがある。
このタウン・ホールは、1887年、ビクトリア女王の戴冠50年を記念してオープンされたもので、遠くからも目に付く、フリーマントルのランド・マークとなっている。
ヘンダーソン・ストリート Henderson St. とサウス・テラス South Tce. の角にあるフリーマントル・マーケット Fremantle Market は、140以上もの露店が並び、食料品から骨董品まで、いろいろなものが売られている。西側を通るサウス・テラスは、「カプチーノ通」 "Cappuccino St." と呼ばれ、カフェがたくさん並ぶ。

空が気になる。夕陽が沈む西の空はどんよりと曇っており、晴れる様子もない。それでも、一縷の望みを抱いて駅に戻り、サンセットを求めてパース行きの電車に乗る。
この辺りのインド洋沿岸は、サンセット・コースト Sunset Coast と呼ばれ、美しい夕陽が望めるところ。やはり、「インド洋」というのが魅力である。なんとしても見たかった。
電車が走り始めると、とうとう小雨が降ってきた。残念だ。僅か4日のパース滞在。それもこちらは雨季。やはり無理だったのか……。もう一度絶対に来るぞ。そのまま、電車に乗りつづけ、パースに戻った。
もし天気なら、こんなきれいな写真が撮れたはずだったのだが……。

2000/06/21

Perth2

6月21日(水)

朝、ツアー・カウンターで、金曜日のピナクルズ・ツアーを予約する(1人$95、YHA会員割引あり)。
さすがに36時間の長旅は疲れた。今日は街の中をゆっくりする。

《ちなみに、ピナクルズのツアー会社は、TRAVELABOUT。》

パース Perth は西オーストラリア州の州都。西オーストラリア州の面積は、オーストラリア全土の3分の1を占め、鉱物資源もその3分の1を産出する。そのため独立心が強く、鼻っ柱が強い。
州の西南部に位置するパースは、人口約125万人。州の人口が170万余りだから、州のほとんどの人口がパースに集中している。というよりも、パース以外には、都市らしい都市が存在しないのが西オーストラリア州なのかも知れない。
しかし、スワン川 Swan River のほとりに開けたこの美しい街は、訪れた人を間違いなく魅了する。遠くから時間をかけてたどり着いても、絶対に後悔しない街だろう。


モールからもう1本南の通りはセント・ジョージズ・テラス St. George's Tce. 。この通りは、モール周辺とは打って変わって、高層ビルが立ち並ぶオフィス街。スーツ姿のビジネスマンが颯爽と歩いている。
オーストラリアに来て思ったことだが、どの街でも、ビジネスマンは男女を問わず、ほとんどの人が黒のスーツを着ている。流行なのか?そして、モールを歩く人と、黒いスーツの人では、歩くスピードが全然違うのである。
超高層街を過ぎると、目の前に悠々と流れるスワン川の流れと、広い芝生の緑が広がる。スワン川沿いは、フェリーの船着場 Barrack Square & Jetty を中心に広い公園になっていて、ここでもジョギングを楽しむ人がたくさんいる。
スワン川が極端に狭くなったところ Narrows にかかる橋を渡った先は、サウス・パース South Perth と呼ばれる地域。郊外の住宅地といったところだろう。
川沿いの芝生で、爽やかな川風に吹かれながら、のんびりとした時間を過ごした。
天候は不安定。晴れたり曇ったりしている。パースの6月は、比較的雨の多い時期という。明日の「インド洋サンセット」が心配になってきた。

YHAのスモーキング・エリアで、真っ黒な顔色をした日本人に会った。八王子からきているA氏。小生と同年代。仕事をやめ、パースへ来てゴルフ三昧の毎日を過ごし、3ヶ月になるそうだ。週に3、4ラウンド、周辺のゴルフ場はすべてプレイし尽くしたとおっしゃる。
A氏とは、タバコ友達として、毎晩ここで会うことになる。

2000/06/20

Perth1

6月20日(火)<着いた!>
夜7時頃、ようやくパースに到着。グレイハウンドのターミナルはシティから離れているため、車内で知り合った女性2人とタクシーに同乗して都心に向かう。彼女たちは、市内のコンドミニアムを予約しているとのこと。
我々の宿は、ブリタニア・インターナショナルYHA Britannia International YHA。シティ駅の北、4、5分のところにある。【写真左】
24時間オープンのレセプションには、予約の電話を入れた時日本語で応対してくれたKeith君がいた。Berlitz の大阪で1年半教師をやっていたそうで、阪神ファン(?)。ユース・ホステルは今回の旅で初めて泊まることになる。
シャワー、トイレは共同だが、キッチンは広く、インターネットも日本語OKだ。

隣りがレストランで助かった。窓から覗いて、他人が食べているのと同じものをオーダーして、遅い夕飯を済ませた。